くまもと九条の会創立十二周年を迎えて

    くまもと九条の会創立十二周年を迎えて   代表世話人 猪飼 隆明
 今年は大変な年でしたね。いや、「でした」では済みません。今もなおその大変は続いています。四月十四日、十六日の二度にわたる震度七の激震、その後止むことを知らず既に四千百回を超えた余震の中で、家屋はもちろん、田畑や仕事をなくし、明日への希望を持てないでいる方々が溢れています。
こんな状況のなか、政府は私たちにやさしい手を差し伸べているでしょうか。災害復旧費の中から、相当額を尖閣列島テロ対策に流用していると言います。災害は利用しても災害被害者、災害弱者の救済に有効な手はほとんどうとうとしていません。安倍政権の関心事は、もっぱら昨年九月十九日に強行成立させた安保関連法(戦争法)を、紛争地南スーダンに「駆けつけ警護」と称して派遣し、実働させること、TPP法をむりやりにでも通すこと、そして何よりも憲法の改悪を実現することにあるようです。南スーダンに派遣された自衛隊は、止むなく兵器を手にする現地の子供たちに鉄砲を向けることになるだろうと指摘されています。もちろん自衛隊に犠牲者も生まれることでしょう。
 さて、昨年の安保関連法強行採決に反対して、熊本の多くの市民がさまざまな組織を作り抗議に立ちあがり、これらの組織が連帯して、野党に参院選での統一候補の擁立を求め、阿部広美さんをおしたてて選挙に臨むことになりました。中央で、今年二月十九日に五野党党首の合意が発表される三か月余前の全国に先駆けてことで、画期的な出来事でした。
闘いは順調に進み、あるいは勝利もと思われた矢先、地震に阻まれ、残念ながら阿部広美さんを国会に送ることはできませんでした。しかし、この市民と野党の連合は、維持され次の闘いに向けて動き出しています。
 私たち九条の会は、創立十二年を迎えました。今日を機に、よりいっそう創意工夫をして、立憲主義と個人の尊厳の確立、憲法改悪阻止、国民主権の実現、そして戦争法を廃止させる運動を発展させていきたいと思います。
 






  益城町九条の会メッセージ
熊本地震の現場から ・・・  益城町九条の会


 益城町での「くまもと九条の会12周年記念講演会」に参加のみなさまを歓迎いたします。
2016年4月、熊本地震によって多くの人々のこれまでの日常が一瞬に失われました。8カ月になろうとする現在、被災地は、この会場への道筋の様子でも分かるとおり、いたる所に崩れたままの土地、壊れた建物、荒れ果てた農地が放置され、今後の営業の再開や生活再建の見通しがたたずに空き地が広がっています。
そして、被災した住民には、大切な人々との納得できない突然の別れ、生活の場と手だてを失い、これまで積み重ねてきた大切な物や貴重な思い出などをなくした喪失感と悲哀、生活の急激な変化に今後の見通しがたたないことへの不安と苦悩が続いています。住民生活の本拠であった地域では、家屋の消失や身近な人々の避難と離散で、近隣社会の崩壊が深刻な問題になっています。
 現在、当面の住居については、行政により計画された応急仮設住宅が完成し、各地の避難所は解消しています。しかし、地域での本格的な生活再建のためには、一部損壊家屋への支援を含め、生活再建支援制度の大幅な拡充と、大きな被害を受けた宅地、農地の修復にも公的な支援が不可欠と思われます。
一方で、十分な情報がとどかないために必要な支援をうけられず、高額な出費を強いられるなど、経済的困窮とともに被災者の間で支援や生活再建に関して格差も生じようとしています。仮設住宅でも孤立感と将来への不安からストレスが訴えられています。支援や復旧への市町村による対応の違いへの戸惑いや、放置された損壊家屋や廃棄物による環境への悪影響も心配されます。
各地の行政当局も地域の復興にむけ住民の声を聴こうと努力していますが、今後、真の復興のためには地域と住民の分断と格差が拡大しないよう、支援を最も必要としている人々への配慮を優先した住民本位の計画と施策が求められています。そのために必要な予算については、被災自治体のこれ以上の財政負担は無理で、特別立法によって政府が責任をもつべきです。
 今回の地震で、とくに貴重で感動的だったのは、日頃の活動などをとおしてのグループや地域でのつながりによる助け合いと全国各地や多方面からのボランティアによる支援活動でした。私たちは、日々人と人とのつながりのなかで生きていることも実感しています。益城町九条の会にも各地の九条の会や個人から有り難い支援金や物資をいただいたことにあらためて感謝いたします。
 歴史が示すとおり、太古の昔から、この地球は各地で地震のような大きな自然現象は絶えず繰り返され、日本列島は火山と断層帯に囲まれていることも事実です。一方、地上の人間による戦争は、けして防ぎようのない自然災害ではなく、必ず戦争を準備し、決断して、その実行を命令する国家が起こすものです。今後の私たちの生活の再建と復興のためには、当然のことですが、まずなによりも平和と安全が前提であり、不可欠です。
 災害を契機に、自然に逆らうみせかけの便利さと快適さを追い求め、大量生産と大量消費に振り回されるような暮らしから、私たちにとって本当に必要で大切なもの何かを考えたいと思います。そして、ひとりひとりの生活は簡素で身軽に、しかし心と社会を豊かに、憲法9条を堅持し、個人の人権と尊厳が守られる平和でより良い社会であるよう努力していきたいと考えています。 

 
    小沢隆一氏講演レジュメ
 








































 < くまもと九条の会12周年記念講演会 於:益城町文化会館 20161203 >

戦争法廃止・9条改憲阻止の新局面と私たちの課題
        小沢隆一(東京慈恵会医科大学・憲法学)

はじめに-現局面をどうみるか
(1)事態の重大性
・「任期中の改憲」を掲げる安倍首相(総裁)
・南スーダンPKOでの戦争法11月実施(駆け付け警護の新任務付与)
・沖縄辺野古・高江などでの政府による強権的な米軍基地建設
・憲法審査会の「再開」
・駐留合米軍経費負担増を主張するトランプ(次期)米大統領

(2)しかし危機の一方的深化ではない
・参院選で与党は「憲法争点隠し」に終始 「争点化」は野党とマスコミの(終盤)報道
・市民と野党の共同の成果 11/32で1人区勝利 ほとんどの選挙区で票上積み  何よりも戦後初めての選挙協力 戦争法反対運動、市民連合の力 2000万署名
 新潟県知事選

(3)これまで(=から)の課題
・憲法をトータルに(=平和主義のみならず民主主義、立憲主義も)否定する戦争法
・戦争法の施行→発動の先に展望される明文改憲(9条2項削除、緊急事態条項導入)
・戦争法廃止・9条改憲阻止で「憲法を取り戻す」ことの歴史的・画期的意義

1.憲法9条の意義
(1)憲法9条の原点-日本に戦争をさせないための戦争放棄と戦力不保持
・アジア・太平洋で(侵略)戦争を繰り返した日本
・「政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさない」保証としての9条
 そのもっとも確実な手段としての戦力不保持(9条2項)
<憲法制定時の審議から>
①「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定して居りませぬが、第9条2 項に於いて一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も放棄したものであります」(1946.6.26衆議院 吉田茂首相の答弁)。
②「第9条は戦争の放棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立っ て指導的地位を占むることを示すもの」(1946.8.27貴族院 幣原喜重郎国務大臣の答弁)
③「兵隊のない、武力のない、交戦権のないと云ふことは、…それが一番日本の権利、自 由を守るのに良い方法である、私等はさう云ふ信念から出発致して居るのでございます」
(1946.9.13貴族院憲法改正特別委員会 幣原の答弁)。
参考「あたらしい憲法のはなし」(1947年文部省発行、52年3月まで教科書として使用)
 「みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの 国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」。

(2)憲法9条の歪曲-「9条で戦争(の波及)は防げるか」の大合唱
・「転機」としての朝鮮戦争 その巨大なインパクト
 「内戦&世界戦争」としての朝鮮戦争 「(隣接する)後方」としての「占領下日本」
 朝鮮戦争のゆくえ・講和(独立)後の日本・アジア全域の国際関係が「数珠つなぎ」に
 「非武装(再軍備反対)・中立・軍事基地反対・全面講和」による憲法9条実現の困難性
・その時、何が起こったのか?
①マッカーサーの「変節」 「日本は東洋のスイスたれ」→講和後の米軍の本土駐留容認
②横田喜三郎の「180度転向」 駐留軍は9条の趣旨に反する→駐留軍は「戦力」にあらず
③旧安保条約成立における「天皇外交」の影(安保=米軍駐留による「国体」の護持)
④事前に国民・国会に知らされなかったサンフランシスコ講和条約と安保条約
(サ条約による沖縄等の軍事占領継続と「片務的基地提供条約」としての安保)
「我々の望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を」(ダレス)
「前進(兵站)基地」としての在日米軍基地
⑤警察予備隊(1950)→保安隊(52)→自衛隊(54)と進む(限定的)再軍備
*憲法解釈の変更
 「憲法第9条は、独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている。従って自衛隊のような自衛のための任務を有し、その目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは憲法に違反しない」(1954.12.22衆議院 大村清一防衛庁長官の答弁)。
→「個別的自衛権合憲・集団的自衛権違憲」論の起点
*「1950年」を境にして総体で脅かされた憲法の平和主義・立憲主義・民主主義

(3)それでも守られた憲法9条と平和を求める運動の前進
・超えられなかった「集団的自衛権は違憲」・「自衛隊は戦力にあらず」の壁 9条の縛り
・澎湃(ほうはい)と湧き起る基地反対闘争・原水爆禁止運動・平和を求める女性運動
 →1950年代明文改憲運動を阻止 60年安保闘争へ
・安保改定(1960年)により日本の軍事的役割は強化されたが「9条の縛り」は解かれず
軍事同盟としての本質を覆い隠した(せざるを得なかった)新安保条約
①5条共同防衛(米は集団的自衛、日本は個別的自衛)
②6条「極東」条項 「裏口」からの侵入 「事前協議制」の抜け道 核密約
・9条が変えられなかった、その結果として安保の軍事同盟性の強化と再軍備が抑えられてきた。そこには常に「安保・自衛隊は違憲」の世論を生み出す運動があった。

2.戦争法の概要と問題点
①集団的自衛権(限定)行使 「存立危機事態」 自衛の措置の新3要件
(自衛隊法・武力攻撃事態法改正)
・「限定」は本当か? 外国への攻撃で「他に手段がない」・「必要最小限」をどう判断?
②「後方支援」(Logistic support)の一挙拡大 (周辺事態法改正→重要影響事態法)
・「周辺事態」から「重要影響事態」へ 地球上のどこでも どの国に対しても
・「後方地域支援」から「後方支援」へ
 「非戦闘地域」から「現に戦闘が行われている現場(以外)」へ 
・弾薬の供給、発進準備中の給油も支援メニューに 「後方支援」のほぼ全面解禁
「有志連合型」武力行使への「後方支援」も(国際平和支援法←特措法の「恒久法」化)
③外国軍の武器等防護のための武器使用 平時(警戒監視・訓練)から有事(軍事衝突)への移行時でのシームレスな対応の確保 (自衛隊法改正)
・危ぶまれる南シナ海での日米共同の警戒監視活動→中国との軍事衝突の危険
④PKO活動等における自衛隊の活動、業務の拡大 武器使用の強化
 国連が統括しない人道復興支援・安全確保活動の追加
 安全確保業務、統治組織の設立・再建援助業務、司令部業務、「駆け付け警護」の追加
 任務遂行型武器使用・「駆け付け警護」のための武器使用 (国際平和協力法改正)
・事実上の内戦状態の南スーダンでの実施

3.自民党「日本国憲法改正草案」の逐条批判-日本国憲法との対比で
(小沢隆一『憲法を学び、活かし、守る』(学習の友社・2013年)参照)
①前文・1条・3条 ⇔ 日本国憲法(以下同)前文
・天皇元首化/国民の国旗・国歌尊重義務/平和的生存権削除

②9条 9条の2 9条の3 25条の3 98条 99条 ⇔ 9条
・自衛権の発動 ねらいは集団的自衛権
・国防軍の保持 「普通の国」の軍隊に 「審判所」(=軍法会議)の設置
・あざとい「在外邦人保護」規定
・緊急事態対処規定 自然災害対処は「口実」 ねらいは軍事対処

③12条 13条 21条 ⇔ 12条 13条 21条
・「個人」から「人」へ 「個性のない人」がお好み?
・「公共の福祉」にかえて「公益及び公の秩序」による権利制限
・表現・結社の自由にも「公益及び公の秩序」による制限

④20条 ⇔ 20条
・「社会的儀礼・習俗的行為」の政教分離からの除外 「政教分離」の本当の意味は?

⑤24条 ⇔ 24条
・「家族の尊重・家族の互助」の意味するものは?
・「ベアテさんの思い」から背を反ける

⑥28条 ⇔ 28条
・公務員の労働基本権の「全部」制限も可能に

⑦83条 ⇔ 83条
・「財政の健全性」の意味するものは?
・憲法で「財政の健全性」が確保できるか?

⑧92条 ⇔ 92条
・「地方自治の総合的実施」 総合的行政主体でなければ基礎自治体になれないのか?
・「住民の負担を公平に分担する義務」の意味するものは?

⑨100条 ⇔ 96条
・衆参の「過半数の発議」の意味するものは?
・近代立憲主義の否定

⑩102条 ⇔ 97条 99条
・97条全面削除・「国民の憲法尊重義務」の意味するものは?
・国民はどのようにして「憲法を守る」のか

補論 緊急事態条項の危険性について
・国家緊急権をめぐって
「戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限」
・憲法に緊急事態条項は必要か?
①大規模な自然災害の時? 
②衆議院の総選挙ができない時?
③テロ対策として?
④9条改憲と緊急事態条項との関連 (自民党2012年日本国憲法改正草案)

4.戦争法を廃止して立憲主義・民主主義・平和主義を取り戻す
(1)立憲主義の破壊としての戦争法
・立憲主義=憲法に基づく政治
・日本国憲法の立憲主義における二つの要素
 権力の「憲法を守る義務」と国民の「人権を保持する権利」 絶妙な組み合わせ
 憲法を守らない権力を監視し批判し克服する国民の権利

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

(2)民主主義の否定としての戦争法
・「民主主義って何だ!」 議会審議を「素通り」した2015年ガイドライン
・議会のなかの民主主義と議会の外の民主主義 カウンターデモクラシーとしてのデモ
立憲主義と民主主義の相互依存的関係

(3)平和主義の蹂躙(じゅうりん)としての戦争法
・戦争法を廃止して、私たちはどんな平和を目指すのか?
・平和的生存権の重要性 「誰の子どもも殺させない」との共通性
・戦争法廃止の二重の意義 「戦後」体制の回復と弱点の克服 日米同盟の見直し
 沖縄普天間基地-辺野古のたたかい
 東アジアの平和の構築
 中国に「力による現状変更」をやめさせて南シナ海を「平和の海」に 
北朝鮮に「瀬戸際外交」を断念させる

(4)九条の会の頑張りどき
・「9条改憲反対」の一致点を何よりも大切に
・「9条を守るためにいま必要なこと」について旺盛に語り合い、交流を広げる
・9条を守る運動の「結び目」に 
・2016年9月25日全国交流討論集会報告集・DVDをぜひ活用を
<参考文献-最近の拙著・論文>
・「平和主義、立憲主義、民主主義を侵害する日米ガイドライン」日本の科学者579号(2016.4)
・「参議院選挙後の情勢と戦争法廃止・改憲阻止の課題」自治と分権65号(大月書店・2016.10)
・渡辺治・福祉国家構想研究会編『日米安保と戦争法に代わる選択肢』(大月書店・2016.10最新刊) 小沢は第2章を分担執筆

<資料>
第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会 第1号(平成27年7月13日(月曜日)より
○小澤公述人 本日は、お招きいただきましてありがとうございます。
 お手元に資料がありますので、それをごらんください。私は、東京慈恵会医科大学の小澤です。専門は憲法学です。
 本委員会に付託されている法案を違憲とする憲法学者の見解について、ある議員の方が、憲法学者は九条二項の字面に拘泥すると述べたという報道に接しました。しかし、字面はすなわち言葉であり、言葉は文化です。明確な言葉によって、そしてまた明晰な論理によって思想やルールを表現して、同時代の人々や後世に伝えるのが文明国、立憲国家の作法です。その作法に反する政治が行われようとするとき、その非を指摘するのは作法を学んでいる者の務めだと思います。
 そこで、法文の字面、文面にあえて拘泥して、法案についての意見を述べさせていただきます。

一. 憲法九条の解釈について。
 付託されている法案には、憲法九条との適合性という重要問題があるにもかかわらず、本委員会では憲法九条の解釈について余り正面から論じられていない印象を持ちます。
 私は、憲法九条の解釈としては、戦争放棄に関する本案の規定は、直接自衛権を否定しておりませんが、九条二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものでありますという一九四六年六月二十六日の衆議院での吉田茂首相の言葉が、端的に正統なものと判断します。これによって、憲法九条のもとでは、個別的、集団的を問わず、自衛権の行使のためであっても戦争や武力の行使はできないという結論が導かれます。
 しかしながら、政府は、この解釈を、一九五四年の自衛隊創設に伴い変更しました。自衛のために必要相当な範囲の実力部隊を設けることは憲法に違反しないというものです。この自衛隊創設には、一九五二年の日米安保条約の前文で、日本の自国防衛の責任へのアメリカ側の期待が記されたということが大きく影響しています。
 その後は、この安保、自衛隊という既成事実の重みによって、一種の魔法にかかったような状態が続いています。私は、憲法学者の端くれとして、多くの先達が汗牛充棟さながらに唱えてきた、自衛隊は違憲という九条解釈論に学びながら、この魔法の呪縛を解き、憲法九条の本来の意義を究明することに微力ながら努めてきました。この間、国民の命と暮らしを守るのは憲法学者ではなく政治家だという声も聞こえましたが、これは、学者と政治家のそれぞれの役割の違いをわきまえずてんびんにかける、ミスリーディングな言葉だと思います。
 学者は、あくまでも学術の立場から社会や政治に対して意見を提出するものです。日本学術会議が作成した「科学者の行動規範」は、「科学者は、」「社会の様々な課題の解決と福祉の実現を図るために、政策立案・決定者に対して政策形成に有効な科学的助言の提供に努める。」「科学者は、公共の福祉に資することを目的として研究活動を行い、客観的で科学的な根拠に基づく公正な助言を行う。」と定めています。
 この間の憲法学者の違憲論、とりわけ砂川事件最高裁判決の読み方についての意見、また、多くの学者が示している法案に対する消極論、慎重論をそのようなものとして受けとめることを貴院には強く求めます。
 もちろん、憲法九条をどのように解釈するか、学界の中には多様な説があります。しかし、多様な説が併存する学界の中で、集団的自衛権は違憲という点において、なかんずく政府が長年維持してきた集団的自衛権違憲論を一片の閣議決定で覆すことに合理性、正当性がないという点について幅広い一致が見られることに、今回の法案審議において特段の重視をお願いしたいと思います。
 二、法案の違憲性等について。
 私も呼びかけ人の一人である六月三日発表の憲法研究者の声明が、これは資料を御参照ください、述べているように、今回の法案には幾つかの看過しがたい違憲性が含まれています。以下、法案の違憲性や問題点について私見を述べます。
 第一に、歯どめのない存立危機事態における集団的自衛権行使の問題です。
 自衛隊法と武力攻撃事態法の改正案は、存立危機事態における自衛隊による武力の行使を規定していますが、その中での我が国と密接な関係にある他国は、米国に限定されません。また、存立危機武力攻撃とはどのような武力攻撃のことなのか、何を基準にして他に適当な手段がなく、事態に対処するため武力の行使が必要と認めるかなど、曖昧です。そして、この攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使がどの程度のものであれば、事態に応じ合理的に必要と判断される限度にとどまるかなど、使われている概念が極めて漠然としており、その範囲は不明確です。個別的自衛権行使を念頭に置いた今までの自衛権発動の三要件が曲がりなりにも有していた要件の明確性、限定性が、存立危機事態を含む自衛の措置の三要件になったことで失われてしまったと判断せざるを得ません。
 存立危機事態対処は、歯どめのない集団的自衛権行使につながりかねず、憲法九条に反するものであると考えます。
 なお、この存立危機事態対処が加わったからでしょう、自衛隊法三条一項の任務規定から、「直接侵略及び間接侵略に対し」という文言を削除しました。これでつじつまが合うとされたのでしょうが、これにより、何からどうやって我が国を防衛するかが不明となり、我が国の防衛が際限なく広がる危険を生じさせた、安易かつ不適切な改正だというふうに思います。
 さらに、武力攻撃事態法改正案の三条一項では、武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処を、国、地方公共団体、指定公共機関が相互に連携し、万全の措置を講ずるとしています。これは、存立危機事態での対処措置を国だけでなく地方自治体や指定公共機関にも行わせる可能性を排除しないことを意味し、重大な問題をはらんでいます。
 この公聴会は、国会法五十一条に基づき、真に利害関係を有する者または学識経験者から意見を聞く会ですが、指定公共機関は、この真に利害関係を有する者に該当するはずです。その意見を聞かずに法案を採決することは、丁寧な審議とは言えないと思います。

 重要影響事態法案における後方支援活動と国際平和支援法案における協力支援活動は、いずれも他国軍隊に対する自衛隊の支援活動ですが、これらは、活動地域について地理的限定がなく、現に戦闘行為が行われている現場以外どこでも行われ、従来の周辺事態法やテロ特措法、イラク特措法などでは禁じられていた弾薬の提供も可能にするなど、自衛隊が戦闘現場近くで外国の軍隊に緊密に協力して支援活動を行うことが想定されています。
 これは、もはや、外国の武力行使とは一体化しないといういわゆる一体化論がおよそ成立をしないことを意味するものであり、そこでの自衛隊の支援活動は武力行使に該当し、憲法九条一項に違反するものです。
 重要影響事態法案、国際平和支援法案とも、二条二項で、日本の支援活動は武力の行使に当たるものではないとしていますが、これは、後方支援、ロジスティックサポートは武力行使の一環という国際法、国際社会の常識に反しています。
 深刻なのは、このことにより、支援活動中に武力紛争の相手方に拘束された自衛隊員が捕虜としての扱いを受けないことです。これは、七月八日の本委員会での岸田外務大臣の答弁で確認されています。
 他方、他国の軍隊への支援活動を行う自衛隊は、相手側からすれば、敵対行為に直接参加する者として、文民としての保護を受けない可能性があります。いや、武器を持った文民などあり得ません。
 結局、自衛隊員は、軍人としても捕虜扱いされず、文民としての保護も受けない、勝手に敵対行為に参加している者という著しく不安定な法的地位に置かれます。これは、支援活動が武力行使ではないとしたことによる根本矛盾です。
 私は、九条の解釈として、自衛隊はこれに反する存在であると判断しますが、自衛隊員の生命や権利が軽んじられることがあってはならないと考えます。
 しかし、今回の法案は、武力行使はしない、他国の武力行使とは一体化しないという根拠に乏しい前提に立ちながら、自衛隊員に戦闘現場近くでの支援活動に従事させるものであり、結果として、自衛隊員が相手方に拘束された場合に、戦闘員でも文民でもないという不安定な地位に追いやられ、その生命と権利を著しく害する事態を引き起こしかねないという根本的な欠陥を抱え込んでいます。
 このような欠陥法案を成立させることは、政治の責任の放棄のそしりを免れないでしょう。自衛隊員の命と暮らしを守るのは政治家の務めではないでしょうか。
 また、国際平和支援法案の支援活動には、いわゆる例外なき国会事前承認が求められることになりましたが、この歯どめとしての実効性は、国会での審議時間の短さなどから大いに疑問です。
 他方、重要影響事態法案は、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態という極めて曖昧な要件で、国連決議等の有無にかかわりなく米軍等への支援活動が可能となることから、国際法上違法な武力行使に加担する危険性をはらみ、かつ国会による事後承認も許されるという点で、大きな問題点があります。
 次に、自衛隊法改正案は、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している米軍等の武器等防護のために自衛隊に武器の使用を認める規定を盛り込んでいます。
 自衛隊法の九十五条は、規定の仕方からして、もともと保管されている武器についての規定のはずです。それが、周辺事態法の制定を契機にして、活動中の武器等の防護にも使用可能な規定とされたことから問題が生じています。
 しかし、改正法案九十五条の二は、米軍等の武器等防護という全く性格の異なるものまで引き及ぼしています。この規定は、自衛隊が米軍等と警戒監視活動や軍事演習などで平時から事実上の同盟軍的な行動をとることを想定していると言わざるを得ません。一体いつから日本はオーストラリアと同盟関係に入ったんでしょうか。不可思議です。
 このような活動は、周辺諸国との軍事的緊張を高め、偶発的な武力紛争を誘発しかねません。そして、武器の使用といいながら武力の行使までエスカレートする危険をはらむものです。現に、本委員会での審議では、共同で警戒監視活動をしている米艦へのミサイル攻撃を自衛隊のイージス艦が迎撃する場合も、九十五条の二が適用され得ると政府答弁があります。これが認められるならば、集団的自衛権行使としての武力の行使との違いはほとんどないと言わざるを得ません。
 結局、改正法案九十五条の二の規定は、集団的自衛権行使の前倒しとしての意味を持ち、憲法九条に反するものです。領域をめぐる紛争や海洋の安全の確保は、本来、平和的な外交交渉や警察的活動で対応すべきものです。これこそが、憲法九条の平和主義の志向と合致するものであることを強調しておきます。

 以上述べたように、憲法上多くの問題点をはらむ二つの法案は、速やかに廃案にされるべきです。政府は、この法案の前提となっている昨年七月一日の閣議決定と日米ガイドラインを直ちに撤回すべきです。そして、憲法に基づく政治、立憲政治を担う国家機関としての最低限の責務として、貴院には、このような重大な問題をはらむ法案の拙速な審議と採決を断じて行わぬよう求めたいと思います。御清聴ありがとうございました。

  
   閉会あいさつ
                代表世話人 弁護士  田 尻 和 子
 この1年、あまりに多くのことがあり、安保法案の強行採決がすでに過去のことになりつつあります。忘れてはいけない、この1年を振り返ってみましょう。
 昨年9月19日、集団的自衛権を認める安保法案が、憲法違反、国民の多数の反対にもかかわらず、強行採決されました。
私達は、安倍政権の暴挙に対し、今年の参院選で勝利し、憲法違反の安保法を阻止しなければならない、参院選で、自公、維新で3分の2を取られたら、改憲はすぐそこに来てしまうとの危機感で、阿部弘美さんを候補者に担ぎ、市民連合革新共闘で参院選の戦いが始まりました。
 しかし、知事選が終わるまでは、人々の関心は参院選には向きません。さあ、知事選が終わった、これからという4月2度の震度7という一生忘れられない地震。激震の一年の始まりとなりました。選挙どころではないとの声、避難所はあふれ、追い打ちをけるように豪雨、猛暑と、これでもかというように試練が続きました。
 安部首相が選挙公示日、この時とばかりに被災地熊本で第1声をあげました。
私達は、選挙の争点は、隠されているが「改憲」であることを必死で訴えました。結果は27万票という多くの賛同を得ましたが、議席獲得には至らず、改憲勢力の目指す3分2を許してしまいました。無力感にしばらく、立ち直れませんでした。
 オレンジ戦風を巻き起こそうと、オレンジ一色で闘いましたので、しばらくはオレンジ色は見たくありませんでした。
 重ねて、4000回以上揺れ、いまだに揺れています。
震災から8か月たとうとしていますが、復興はまだまだ、これからが正念場でしょう。みんなが笑顔になるまではかなりの時間がかかります。
ふと気が付くと、イギリスのEU離脱に始まり、アメリカでのトランプ大統領誕生による民主主義における右傾斜の政治的地震、フランスでも大統領の再選断念と欧州での中堅左派の後退と極右政党の台頭、朝鮮半島の不安定、世界がこの1年で流れが大きく変わりました。
世界の動きは、先の朝鮮戦争で明らかなように、憲法に大きく影響します。
日本でも、自衛隊のスーダンでの駆けつけ警護の任務が付与され、武力行使が取りざたされています、防衛予算のみ5,4兆円に増大し、反面福祉教育予算の後退、医療介護年金に関しては、高齢者の負担増は明らかです。
 世の中の流れは確かに戦争へと大きく流れていきそうです。
地震は、日常の営みがいかに大切なものであるかを自覚させてくれました。ささやかな日常を戦争で壊させてはいけません。
憲法は70歳、この平和憲法のおかげで、私たちの生活が守られてきたのです。
「高齢者」憲法の扱いは、尊敬であってほしいものです。
来年は、今年よりもっと流れの激しい年になることでしょう。
独りではできないことを、みんなの力で、あきらめず、闘ってゆきましょう